タイ旅行記


’13/01/03、11時関空発、現地時間15時10分バンコク到着。現地気温34度。飛行機の中
から、後ろの座席の人々がうるさいのが気になってはいた。下手な日本語(中国語なまり)が
聞こえてくる。まぁ、中国人もタイくらい行くわなと、気にしないようにしていたら、現地について
びっくり。同じツアーだったのだ。総勢4組8名。親子ほど年の差のあろうかという中国嫁(41
歳だというのにギャルファッション)と日本人夫(どう見ても60代)の夫婦。空港を出たら、早速
一服、煙草をふかす中国嫁。後に酒豪とわかる母娘(娘は40代後半?めちゃくちゃ化粧濃
い)、旅慣れた熟年夫婦(彼らだけホテルがペニンシュラ)、そして我々と、現地係員キャオ氏と
対面。これから3日間一緒だという。最終日だけ、我々は水上マーケットに行った後、深夜便で
帰国だが、他は「戦場へ架ける橋」の舞台となった鉄道へ行って翌日帰るという。ま、寄せ集め
ツアーはよくあることだ。キャオ氏に両替してもらう。一万円が3400バーツ。1バーツ約3円。
 この日はホテルへ行くだけ。夕飯はついてない。ホテルはロイヤルオーキッドシェラトンの21
階。部屋は広く、チャオプラヤ川河岸に面した窓からの景色はすこぶるよい。すっかり機嫌を
よくした我々は、ウェルカムドリンクをサービスしてくれるというバーへ。チケットを渡すと小さな
ワイングラスに入ったピンク色の飲み物が。一口飲んでちょっと怪しい…と思い、何かと聞くと
「マンゴージュース」と返って来たので、それならと安心して飲みほしたが、これがいけなかっ
た。

ホテル21階からの眺め。下はチャオプラヤ川。

 となりがスーパーも入っているショッピングモールというので、夕飯を食べられるところがある
か、のこのこ行ってウロウロしているうちに顔が熱くなってきた。もしやと思ったがやっぱりさっ
きのドリンクにはアルコールが入っていたらしい。私は一滴も飲めない、アルコールを受け付け
ない体質なので、これはヤバイことになってきたぞ、と感じた。歩き回っているうちにフラフラに
なり次にやってくるのは頭痛だ。もうレストランで食べられる状態じゃない。広場で肉まんや春
巻きなどを売ってるところがあったので、肉まんを5つ買う。5個で100バーツだった。その後ダ
ンナがコーラが飲みたいというので、近くのセブンイレブンでジュースとお菓子(タイのいちごポ
ッキー)全部で32バーツ。その後2時間ほど頭痛でうんうん唸ってようやく食べられるまでに回
復した。肉まんの中身を見てびっくり。5つとも中身が違うのだ。タイという国のいい加減さを見
たような気がした。私のは肉まんとあんまんだった。シャワーを浴びて、まだ10時だったが(日
本じゃ12時)早々に寝た。

タイのコーラ

 1月4日朝6時半起床。朝食はホテルのバイキング。8時半ロビー集合。ここでもう一組あまり
旅慣れてなさそうな熟年夫婦2人(ホテルは同じだったらしい)も合流し、観光へ出発。まずは
エメラルド寺院。ハイ、中国嫁アウト。旅行の日程表にもあった注意事項にノースリーブ、短パ
ンでは寺に入れない、とあったのに見事な短パン。腰巻のようなものを入口で借りる。12年前
にも来たけど相変わらずキンキラキンの寺院。今回知ったのは拝観料500バーツ(1500円)
とここだけ飛びぬけて高いのだ。そのほかの寺院は50バーツとかなのに。やはり維持費がバ
カにならないのだろうか。

エメラルド寺院。拝観料高い分よーく拝んできた。

次は念願の暁の寺院。12年前は修復工事中とスルーされてしまって、観れなかったところだ。
塔は登れるのだが、アンコールワットの愚は犯すまいとおとなしく下で待っていた。ダンナは果
敢にも登って(何とかと煙は高いところが好きというが、ダンナは登れるところは必ず登る)、上
からの景色をビデオとカメラに収めてきてくれた。やはりその後足がガクガクになったと言って
いた。ホラねー、登らんでよかった。(←アンコールワットで経験済み)

暁の寺院。登れるがかなり急こう配らしい。

 次はワット・ポー。キンキラキンの涅槃像。足の裏は螺鈿細工の曼陀羅図。甕の中にチャリ
ンチャリンと小銭を落としていく人々。何の意味かは不明。

ワット・ポー。巨大な涅槃像。

 で、午前中で観光は終了。昼食は免税店内のレストランで、朝食よりしょぼいバイキング。午
後からは、免税店で1時間、デパートで1時間放り出された。免税店では、土産物をひやかした
りしてるうちに、時間は潰せた。デパートは本当に現地の人が行くデパートで、タイのユニクロ
でヒートテックを売ってる謎…この暑いのに何故にヒートテック…チェンマイの人とかが買って
いくのか?4時ごろホテルへ帰されたが、夕飯までの2時間ゆっくりホテルで体を休めることが
できた。暑い国ではこの中休みをばかにしてはいけない。私の場合、ぶっ続けで動こうもんな
ら必ず体が悲鳴を挙げ吐き気をもよおす。マカオでも観光途中でホテルで一回休み、のおか
げでかなり後が楽に動けたものだ。
 しかし、この中休み中にちょっとしたハプニングが。ピンポーンとインターホンが鳴り、ホテル
マンがケーキを運んで来たのだ。ホテルマンがさっさと行ってしまったので何のことやらわから
ずにケーキを見るとチョコレートで「Happy Honeymoon」と書いてあるではないか。さすがにハ
ネムーナーに見られるのはこっ恥ずかしい年なんで、どっかと間違えてないかと思い、ガイドさ
んに確認してから食べようと、手はつけずにいた。

これがそのケーキ。これでダンナは後でえらい目にあうことに。

 夕食はシャングリラホテルのレストランでタイ古典舞踊を見ながらの食事、とあったので正直
何にも期待していなかった。12年前には劇場のようなところでがっつりステージで長々とタイの
古典舞踊を見させられ、料理はすこぶる不味く食えたもんじゃなかったからだ。ところが今回は
全く趣が違い、普通のレストランで食事してる間に踊る人たちがちょろっと来て踊って帰っただ
けだった。食事もまずまず美味しかった。典型的タイ料理というより日本人にも食べられるよう
なちゃんとした料理ばかりだった(野菜炒めとか鳥の唐揚げとかエビとか)。デザートはマンゴ
ー。これもなかなか美味だった。ただ、飲み物は別料金でマンゴージュースを二人とも注文した
ら、やはりホテル並みのお値段。しっかりした100%マンゴージュースではあったけど、会計時
に12%のサービス料まで取られたところが、さすがホテルだな、と。(計518バーツだったのだ
が、520バーツ渡しても釣りはくれなかった。さすが一流ホテル)何においても7%は消費税で、
これが外税なんで、会計時に一瞬「?」となってしまうのだ。
 件のケーキのことをキャオ氏に聞くと「オッケー、オッケー」とだけいう。間違えてたって今さら
「返せ」とは言われないだろう、と食後ホテルに戻ってから頂くことに。ところがこのケーキ、外
側はチョコレートで超あまーくコーティングされているのだが、スポンジ部分は日本のケーキと
違ってもちもちとした蒸しパンのような歯触りだった。当然あまり美味しくなく、私は4分の1ほど
で根を上げた。残り4分の3はダンナの胃に。これが翌日のダンナの悲劇の元となった。
 1月5日7時起床。朝食後8時15分ロビー集合。ホテル隣の船着き場からアユタヤへ3時間
半のクルージング。集合時にびっくり。中国嫁が短パンのうえに、シースルーのノースリーブ。
馬鹿なの?!こいつ、バカなの!?と思わずにはいれなかった…ダンナ(←中国嫁の)もなん
とか言えよ!どうせこいつまた寺院前でひっかかるわ…キャオ氏も「あ〜あ」という顔だった。
 クルージング中船内でバイキングの昼食。朝から胃が気持ち悪いとダンナあまし食べれず。
まぁあまりたいしたものはなかった。日本人専用の船らしくアナウンスが日本語だった。船内で
は特になにもすることもなく、デッキにでると風が気持ちよくついウトウトと…。そうこうしているう
ちにアユタヤ到着。まずはバンパイン離宮&寺院観光。ここに行くまでのバスの中がダンナに
は地獄だったらしくゲロ袋の用意もしてたらしい。バスの中ではダンナとは席が前後になってし
まい、そんなに気分が悪いとは気がつかなかった…。ここにも塔はあったのだが、さすがにダ
ンナ登れず。

バンパイン離宮。すこぶる天気が良い。

 その後象乗り体験へ。乗るための階段前で待っている間に「象使いにはチップをあげないで
ください」「カメラを渡さないでください」などの注意書きが。それより何より、私は高所恐怖症を
ダンナは気持ち悪くなるのを心配して言葉少なに待っていた。いよいよ階段を上がり、象に乗
るが私たちの象は他のよりちょっと小柄であった。しかし3メートルほどはあり、乗り心地の悪
いことと言ったら!エジプトの駱駝よりひどかった。しかしエジプトの駱駝のとき同様、折り返し
地点で象使いはチップを要求してきた。私たちの方を振り返り「チップ、チップ」と手を出すが、
揺れがひどくてそれどころじゃないのと、注意書きを思いだし「チップいらないって書いてあっ
た!」と日本語で怒鳴り返した。ケチで言ったわけじゃない、60円くらいいいさ、ただいるなら
最初に言ってくれないと、とても両手を離せる余裕がなかったのだ。まぁ正直影でチップを要求
するという駱駝使い同様のズルさに立腹を覚えたのは確かだが。その後腹いせか余計に揺ら
されたり象を鳴かせたりとタイ語で「こいつらチップくれないんだぜ!」とでも言ってたのかもし
れない。
 象から降りると、中国嫁が象牙の指輪を買ってもらっていた。確か象牙ってワシントン条約か
なんかで持ち込み禁止なんじゃ…まぁ指輪くらいスルーされるか。それにしてもこの中国嫁、行
く先々で買い物して金のにおいがぷんぷんするのだ。どうもはすっぱな感じがしてお近づきに
なりたくない。アイフォンで自分だけをガイドさんに写真撮らせる。ふつうダンナと撮ればそれで
いいだろ。ダンナのデジカメには二人で収まるのだが、必ずアイフォンで自分だけを一回撮る
のだ。中国語学習者としてはここで本領発揮すべきなのだが、立ち居振る舞いすべてが私の
カンに障る。というわけで旅行中一言も口をきかなかった。
 その他なんや戦争で廃墟と化した寺院とか菩提樹にからまれた仏像の首など一通り観光。

 夕食はソンブーンという中華料理屋でタイカレー。思ったほど辛くはなかった。ここでも中国嫁
はキャオ氏を読んで豚肉が入ってないかを確認。なんと煙草も吸い、酒も飲む彼女はイスラム
教徒だという。「私だけじゃないヨ、今のイスラム教徒みんなそうネ」と言って他の戒律は破って
も豚肉だけは食さないという。面白がって他のみんなが「断食はするの?」とか聞いてくる。「し
ない。」そりゃそうだろね。「酒もたばこもやらないけど豚は食う俺たちとどっちがイスラム教徒
っぽいかな?」とダンナは茶化してた。確かに、私らのほうがよっぽどイスラムっぽいよ。
 食後他のみんなはニューハーフショーを見に行くということで、誘われたのだが、ダンナの調
子が悪いので遠慮する。キャオ氏とはここまでというので、握手して別れる。日本語は下手で
半分もわからなかったが、人柄はいい人だった。翌日も早いので早めに休む。
 1月6日朝5時半起床。7時ロビー集合。水上マーケットへ。この日のガイドはポンさん。キャ
オ氏に負けず劣らず日本語が下手。総勢19名。水上マーケットまでバスで1時間半。途中ココ
ナッツファームへ寄る。ココナッツの果肉を砂糖に、外の皮は工芸品として売っている。
 水上マーケットへはまず民家のあるところをエンジン付き小舟でぐるりと一周して、手漕ぎの
小舟に乗り換える。ここからが水上マーケットだ。私が想像していた、現地の人々が行きかう
水上のスーパーではなく、全くの観光地、土産物屋の羅列であった。なんだ、こんなものか、と
ちょっとがっかり。そんなところで買い物する勇気ないので写真とビデオに様子だけ収める。

水上マーケット。土産物屋がずらりと並ぶ。

 帰りのバスでポンさんがバナナの天ぷらを一口ずつ配ってくれた。味は…うーん、バナナの
天ぷらだね。木彫りの工芸品店にバスが止まった。小さなものから大きな象までいろいろな木
彫りの工芸品があって圧巻。つい雰囲気につられて小さな象のキャンドルスタンドを購入、200
バーツ。
 2時ごろホテル着。後は深夜便のお迎え8時までフリーなのだが、まずは腹ごしらえをと隣の
ショッピングモールへ。もう探すのも面倒なので目に付いたカレー屋でラーメンを食す。なんで
かそのカレー屋(TOKYO−KAREI)はラーメン、パスタなどのメニューがあったのだ。その後
は特に予定もないので、ショッピングモールから出ている船で向かいのヒルトンホテルへ行って
みる。各ホテルが駅やらショッピングモールやらへ船を出しているので、川の西へ東へと橋ま
で行かなくとも渡れるのだ。ヒルトンホテルから少し歩けば川沿いにペニンシュラホテルがあ
る。一度は泊ってみたいよね〜、などといいながらホテル内を散策。ペニンシュラでハイティー
としゃれこみたかったが、ダンナがまだお腹すかないな〜と今一つ乗り気でなく、ペニンシュラ
の船で最寄りの駅へ。駅前はさすがににぎわっていた。学生、観光客、地元の人など入り乱れ
て駅前はごったがえしていた。スーパーの前に香港の女人街のようなにぎわいの屋台が立ち
並ぶ。観光客目当てでなく本当に地元の人たち用なので、観るだけで楽しむ。その後喉が渇い
たので、マクドでジュースを飲む。タイのマクドナルドの人形はきっちり手を合わせていた…ケ
ンタッキーもそうなんだろうか。
 
8時にお迎えのガイド、スッポンさんが現れ空港までお見送り。荷物を預け、チェックインした
ら、あとはバーツをはきだすためと、いい加減お腹もすいていたので、VISAの使える喫茶店で
クロワッサンとジュースで腹ごしらえ。夜11時発の深夜便にて帰路に着いた。
 今回は観光もさることながら、ツアーメンバーがパンチが効いていた。特に中国嫁。何度注
意されても短パンを貫き通した、ブラジャー丸見えのシースルーに煙草をくわえビールをごくご
く飲んでいた瀋陽出身のイスラム教徒の彼女。一生忘れないだろうよ、中国嫁。私たち以外は
(特にケバい母娘)食事の都度昼間からビールをガバガバ飲んでいた。シンガービールという
タイのビールは軽くて飲みやすいらしい。滋賀、奈良、名古屋、神戸と来たところはバラバラだ
ったが、最後の食事ではみんな打ち解けて楽しい食事だった。自分(だけ)は体調もよく、年の
始めに楽しい幸先のよい旅行であった。
 
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