パリ旅行記
2014/08/06〜13
 今年の2月に決めた夏の海外旅行。待ち遠しかったですなぁ。直前になんやかんやありまし
たが、一応全て無理やり解決というか心の整理をして、無事飛び立ちました。長々書くのも疲
れるので、まぁ主だったところというか、面白かったところをピックアップしていこうと思います。
 JTB(ここはこだわった。絶対JTB!トラピックスも日旅もダメ!)「添乗員がご案内する モ
ン・サンミッシェル地区・ベルサイユに泊る パリから始まる小さな旅8」というツアー。参加者2
4名。エールフランス11時30分発だったので、9時30分集合。しかし交通事情で9時40分空
港に着いたのだが、我々が最後だったらしく、もう説明は始まっていた。さすがJTB。英国屋で
好きなドリンクを注文しお茶を飲みながら添乗員による説明会。一通り説明が終わった後、両
替を案内された。ユーロは日本のほうがレートがいいという。そして金額は一人3万円替えてお
いたほうがいいという。そんなに要る?!と思ったので二人で4万円にとどめる(40390円→2
85ユーロ也)。余ったのを後からまた円に戻すのめんどくさいと思ったのだ。(結論から言うと
3万円で正解。フランスは物価が高いのだ。やっぱり添乗員の言うことはきくべき。)しかしこの
時、というよりもっと前に教えておいてほしかったことはあったが…。のんびりする間もなく、税
関通るとすぐ搭乗。今回いつも以上に時間に余裕がなかった。
 半分期待していた(しかしオランダの経験上、半分は期待してなかった)機内映画は邦画1
本、日本語字幕のものはなし。仕方なく「小さいおうち」を見て、あとはゲーム上海をひたすらや
っていた。
 12時間後、現地時間17時パリ着。18時20分ホテル、メルキュール パリ ガール ド リヨ
ン着。部屋はめっちゃ狭いが内装はオシャレ。さすがパリ。そして大きな時計台のある大きな
駅の隣。周りはカフェだらけ。寝るには早いし、時差ぼけを直すには現地時間に合わせるのが
コツだとカナダに行った時現地係員が言っていたのでそれに倣おうと、すぐに寝ることはせず
(日本時間深夜3時だったが…)そのあたりを散歩し、機内食を食べたので夕飯は食べなかっ
たが、カフェでお茶だけした。ホテルに戻ってもまだ8時。そして夏のパリは10時ごろ日が暮れ
るという。しかし限界というか体力が心配だったので寝た(日本時間午前4時)。

時計台の隣がホテル。
 メルキュールと聞いて「あ、ドイツで泊ったホテルの系列か。」と思ったら添乗員さん曰く「メル
キュールというホテルはパリに30以上ありますのでタクシーで「メルキュールホテル」と言って
も着きませんよ。」と言われる。

 このツアーは全日、朝はゆっくりめで助かった。自分で早起きさえすれば朝はゆっくり時間は
取れる。この旅行中でこのホテルが一番朝食は良かった(パンケーキが置いてあったから
ね!)。
 8時半出発。大雨だったがバスに乗ってるうちすぐ止んだ。ノートルダム寺院へ。19年前にも
来たので特に感慨も無く。しかしお次のコンシェルジュリーはすぐ近くにあるというのに前回行
ってなかったし、マリーアントワネット終焉の地ということで面白かった。コンシェルジュリーとと
もに裁判所の建物の中にあるサント・シャペルへ。これも初めて観た。

コンシェルジュリーにあるフランス革命でギロチンにかけられた人の名簿。
冤罪でメイドや農夫といった市民までがギロチンにかけられた、と現地係員フランソワ氏談。

 トロカデロ広場でエッフェル塔の写真を撮り、バスに乗って凱旋門へ向かう途中、フランソワ氏
が窓の外を指さし「あれ、気を付けてください。スリの集団です!」女の子が数人白い紙を持っ
てウロウロしている。観光客でごったがえすシャンゼリゼ通り。その中でもなんとなくわかる。所
在なげに白い紙だけをもってウロウロしている女の子達。後で遭遇した時近くでみてわかった
が、やはりジプシー(今は蔑称として禁じられているのだったか?)の人達のようだった。髪も
顔も北欧系でないような気がした。19年前もジプシーが寄ってきて金をくれというジェスチャー
をされたが、それが身なりは普通の女の子(Tシャツにジーパン)に変ってやはり同じことをして
いるようだった。手口は代わって、理由はなんだか忘れてしまったが「署名をしてくれ」と言って
寄ってきて署名をしている間にスリを働くということらしい。行く前からこのスリ集団のことは知
っていたし、こっちに着いて早々に添乗員さんから治安は悪い、スリに気を付けて、日本人は
特に狙われる、と再三再四言われていたので、非常に緊張感のある旅行でもあった。(治安が
悪いことは事前にわかっていたので、これを機にケータイを海外でも使えるスマホに機種変し
た。)
 昼食後、ルーブル美術館へ。その後解散。バスでホテルまで送ってもらえるのだが、残りた
い人は残ってもよいということで残ることに。約2時間ほどフランソワ氏のガイドで見て回ったも
のの、とうてい見切れるものではない。そこで居残りを申し出たが、申し出たのは我々のみ。添
乗員Y氏は帰りの地下鉄の乗り方を丁寧に教えて下さった。切符を駅で買わなくてもいいよう
にカルネ(回数券。こちらの回数券には期限がない)まで譲ってくださった。
 さて解散したところで、まだ見ぬ名画を求め出発。目的はフランドル絵画(北欧・オランダ辺
り)。一番楽しみにしていたのはルーベンスの24枚連作の大作「マリー・ド・メディシスの生
涯」。しかしフランドルにたどり着くまでにもあちゃこちゃ名画があり、寄り道していたらかなり時
間がかかり7時の夕食までに戻らねばならないので、遅くとも5時には去らねばならなかった。
そうこうしているとあっという間に5時。だいたいの目的は達したし、心残りはあったものの、全
部観るのは困難と諦めた。

フェルメール「レースを編む女」20センチ四方の小作品

 さて地下鉄に乗ると15分ほどで駅に到着。夕食までに一休みすることもできた。夕食は牛肉
の赤ワイン煮込み。この旅行ではほぼ10時ごろには就寝できた。テレビはどこも日本語放送
は一切入らないので私はほとんど観なかった。フランス語は一切わからないし、MTVすらない
ので退屈極まりない。

 8日朝8時45分出発。一時間半後、シャルトル到着。小雨が降っていた。シャルトル大聖堂
観光。ノートルダム寺院のような大きな古い寺院。ここもステンドグラスがすごい。現地係員の
ユウケンさん(50代くらいの日本人男性。しゃべりが達者。この仕事を楽しんでいるのがよくわ
かる。こう言う人の仕事ぶりは見ていても気持ちがいい)の説明を聞きつつ観光。観光案内の
手段も変ったなー、と思ったのが、このユウケン氏の説明が現物(ステンドグラス)をレーザー
ポインターで指しながら拡大図をiPadで見せるという方法。分かりやすいし、説明もしやすかろ
う。こんなところでもiPadは大活躍。スティーブ・ジョブズの功績を改めて思った。直にこういう恩
恵をあやかっている人たちがアップルの大ファンなのかもしれない。

シャルトル大聖堂。左右非対称なのは作られた年代が違うから。

 小一時間たっぷり説明を聞いた後、お土産屋さんへ。大聖堂の向かいにお土産屋さんは2
件。「どちらがいいとは、私の口からは申し上げられません。…が、」右の店のほうが安いとこ
っそり(笑)そこでゴブラン織りのポーチを買った。パリにも同じものはあるが5ユーロは安いと
いう。ブルボン王朝の紋章であるユリのデザインのものを自分と母に二つ購入。お土産はどこ
に行ってもその土地の日本語で書かれたガイドブックとマグネットの2点を「行った」という記念
に買うことにしている。ここではマグネットはなかったのでガイドブックのみ購入。
 
 昼食後、午後2時ごろモン・サンミッシェルに向けて出発。4時間半の長旅である。実は長時
間バスに乗るのが不安のタネだったのだが…あにはからんや、ソッコー寝てしまった。2時間
後トイレ休憩でドライブインへ。ほとんどの人が寝ていたと思うが、そこから2時間添乗員Yさん
はしゃべり続けた…すごい体力だ。というか好きなんだなー、と思った。フランスやモン・サンミ
ッシェルに関するあれやこれやをずーっとしゃべっておられた。ノルマンディ地方というのは年
間通じて天気の悪いところらしく、土産用の絵葉書に「I have a dream」とあってフランスの天気
予報地図のノルマンディー地方に晴れのマークが描いてあるものがあるという話が印象的だっ
た(他は寝たり起きたりであまりちゃんと聞いていなかった…すまぬ、Yさん)。彼女の言う通
り、天気はどんどん荒れ模様となった。

 6時半ごろホテル到着。モン・サンミッシェルがよく見える位置のいいホテル。しかし部屋から
見えるかというと、当たり外れがあるらしい。果たして日ごろの行いからか当たりをひいた。部
屋は広いしテラス付き、そしてそのテラスからモン・サンミッシェルが見えるのである。天気は悪
いのであまりよくは見えないのだが、そこにあることはわかった。何より前日泊ったホテルの部
屋が狭かったので、部屋の広さがありがたかった。

ホテルの部屋のテラス。奥にうっすらとモン・サンミッシェルが見える。

 夕食はノルマンディー料理だったが、これがすこぶるウマい!前菜はサーモンのカルパッチ
ョ。メインはタラのクリームソースがけ。デザートはクリームブリュレ。ものすごい勢いであっとい
う間にたいらげた。ダンナに「好物食べてる時はすぐわかる。」というぐらいのがっつきっぷりだ
ったようだ。自他共に認める食べるのが遅い人間なのに、普通の人より食べるのがかなり速
いタイプのダンナより早く食べ終わったのだ。人生初のことだ(大げさですが、速く食べるという
のは自分には難行苦行で、人より早く食べ終わるなどということは一生ないと思っていた)。
そして毎度食事時には飲み物を頼まねばならない(水も有料。無料で出てくる日本はすごいな
ぁ)のだが、この時はノルマンディ地方名物シードル(りんごジュース)がサービスされた。よくサ
ービスで出されるのはアルコールなのだが、私は(ダンナも)酒は飲めないのでうれしくない。こ
の時ばかりはタダで飲めるソフトドリンクがすごく嬉しかった。

こちらがその前菜サーモンのカルパッチョ。めちゃウマ。

 しかし夕食の間天候は荒れに荒れ、大雨で外は真っ白。

モン・サンミッシェルも姿を消した。

 そうは言うものの、これも日頃の行いか、夜は9時ごろモン・サンミッシェルの夜景を見に行
けた。ただ、すんごい寒いんである。凍えながら観た。

夜のモン・サンミッシェル。
モン・サンミッシェルにもホテルはあるのだが、中に泊ってしまうとこれが見れないのである。

翌朝7時のモン・サンミッシェル。

 翌朝、朝食後外に出てモン・サンミッシェルをパシャパシャ撮る。これがこの旅の第一目的な
のだ。それにしても絵になるというか、絵に描いたような、素人でも絵葉書のような完成度で写
真が撮れるのである。
 日ごろの行いか(もうええちゅーねん)この日は快晴。観光へ出発。モン・サンミッシェルの大
門をくぐってすぐ、現地係員のマリアさんと合流。女子大生のようなきれいなかつフツーなお姉
さん。しかしこの方よくある失業対策の一環で観光旅行社に添付義務のようなものなのか(こ
れを聞いたのはスペインに行ったとき。きれいなお姉さんが付くのだが何もしない。失業対策
の一環で一人は雇うのが義務ということで、添乗員的にはうっとおしいらしかった)、観光中は
ずーっとYさんがしゃべり続け、ついぞマリアさんから説明を聞くことは無かった。Yさんが説明
している間暇そーなんである。

グラン・リュという大通りには土産物屋やカフェなどがびっしり。

 ちょっと驚いたのが、行くまではモン・サンミッシェルというのは「海の中の修道院」という認識
だったのだが、実は大きな岩の島の上に建つ一つの街なのである。てっぺんに修道院を頂い
ているが、その下は巡礼に来る人たちのための(というかその人たちを食い物にするという印
象を受けた)商業都市ができあがっているのだ。厳格な修道院というイメージから俗っぽい土
産物屋のひしめく通りを見てギャップに驚いた。
 「海の中の」というのも誤解で、潮がひくと歩いて渡れる。ただ、潮が引いている時も勝手に歩
いてはだめらしい。危ないのでガイドがついていないといけないらしいのだが、そんなこた知っ
たこっちゃない旅行者で勝手に歩いている人もいた。

修道院のテラスからの眺め。周りはなにもない。建てちゃいけないんだろうな。

 修道院内部の説明を聞き、一通り観光が終わると自由時間。グラン・リュにある郵便局から
葉書を出すと、ここでのみ押してくれるスタンプがあるらしい、というので急ぎ郵便局へ行って自
分宛てに一通、親に一通葉書を送る。郵便料金は安い。日本まで0.92ユーロ。100円する
かしないかである。本格的な買い物はまだだが、食事時に毎度頼まねばならない飲み物に5〜
7ユーロ払っていたので、物価は高いと感じていた。交通費とか郵便とか安い面もあるようだ。

自分の撮ったモン・サンミッシェルのベストショット。私の写真の腕はこんなもんである。

 あれやこれや土産物屋をひやかしているとあっという間に時間は経った。長年の夢だったモ
ン・サンミッシェル観光は終わった。

さらば、モン・サンミッシェル!

 昼食はモン・サンミッシェルに名物オムレツなのだが、ここではなく、観光後かなりバスで離れ
たところのレストランで食べた。まぁぜひ食べたいとは思っていたが…名物にうまいもんなし、と
だけ言っておきましょう…。

モン・サンミッシェル名物オムレツ。
巡礼者のために手っ取り早くお腹の膨れるものをプーラールおばさんという人が作ったのが発
祥と言われる。フワフワなんだけど、ほとんど泡で味がない…。

 昼食後、また4時間かけてベルサイユへ。バスの中ではYさんまたもしゃべりっぱなし。そして
私は寝倒したので何も聞いていない(すまぬ、Yさん)。
 ホテルはプルマン・シャトー・ベルサイユ。ベルサイユ宮殿まで徒歩5分という立地のよさ。今
回このホテルの立地のよさや食事のよさからやはりJTBを選んで正解だったと痛感した(ト○
ピックスや日○旅行でどんな扱いを受けてきたかご想像にお任せする)。もう一つ言えば、添
乗員Yさんが、部屋に行ったら不都合がないか必ず確認してくれ、何かあったら夕食時に教え
てほしいと毎度言ってくれるのだ。この一言があるとないとでは大違いだと思う。添乗員さんも
大変だとは思うがそんな中でどれほど瑣末な事に気を配れるかがやはり旅の良さに掛かってく
るのではなかろうか。今回のYさんは今までの添乗員さんの中で1,2を争ういい方に当たったと
言えよう。今まで1位は(あくまで自分調べ)ANAハローツアーの高橋さんであった。いつもニコ
ニコして性格のよさが滲み出ているような人だった。着いてすぐ現地通貨を持っていない人に
枕銭用の小銭を「ここにおいておきますので、必要な人は取ってください。」と身銭を切ってサ
ービスする人だった。それも恩着せがましくなくさらりとさり気なく言うあたりなかなかできること
ではない。閑話休題。さらにここでは冷蔵庫内の飲み物はすべて無料というサービスも。お茶・
コーヒーのセットも置いてあり、部屋も広く大満足。
 夕食は前菜が牛肉のカルパッチョ。メインが魚だったのだが、ちょっとハプニング。席順の都
合でダンナの配膳が最後になったのだが、ダンナのメインがどう見ても鶏肉なんである。気に
せず食べるダンナ。バスの中で「明日の昼食は肉か魚かを選べます。」と聞いていたので、「あ
れ、今晩のことだったかな?」と私も勘違いしたのだが、すぐに誤解は解けた。ギャルソンが
「すみません、間違えました。」と正しい皿を持ってきたのである。しかし魚より断然肉が好物な
ダンナは「もう食べてるし!」と言って肉を離さなかった(笑)

鮭のソテー。これが正しいメインです(笑)

 夜9時からベルサイユ宮殿の庭園観光。花火があるというので参加。しかしまだまだ明るい
のである。翌日の観光は時間的に庭園は見れないというのと19年前も時間の都合で庭園は
見てないので、ゆっくり庭園だけ観るチャンス!と庭園を堪能。10時50分花火開始。11時1
5分終了。寒かった…。

9時半ごろようやく日が暮れてきた。宮殿の上に満月。

 翌日、パリ観光でお世話になったフランソワ氏再び。7時ごろ朝食後にダンナ一人で(私は寒
くてパス)散歩がてらベルサイユ宮殿前に行ってみたら誰もいなかった(当たり前)が、9時に行
くと、もうものすごい人で埋め尽くされている。フランソワ氏のすぐ後ろにいたダンナが「あ、今
日、日曜だから?」とつぶやいたら、すかさずフランソワ氏「ううん、毎日こんなもん。」彼は日本
語は早口で発音も怪しく聞き取りにくいのだが、日本に住んだことあるんじゃないかと思うくらい
日本語に慣れている感じだった。

ルーブルにもあった「ナポレオンの戴冠式」。
ルーブルの複製だが、ダヴィッド本人が描いたものである。
ルーブルより少し小さく、製作年代がこちらのほうが後なので、女性の服などが違うらしい。
比べたことないので知らんけど。

 さて、宮殿の観光は終わり、庭園を少し散策して後、昼食。昼食はエスカルゴである。Yさん
は気を使ってか「えー、…エスカルゴとだけ言っておきましょう。敢えてナニとはいいません
…。」しかし回りを見た限りではみんな食べていたように思う。私も勿論食べた。19年前食べ
れるところを探したが見つけられなかった因縁もある。しかしナニは味という味はなく、ニンニク
とバジルでしっかり味付けしてあり、特に臭みもなかったので、フツーにおいしく頂きました。

これがナニであるが…。専用の器具があるのが面白かった。

 昼食後、プチ・トリアノンと田舎家の観光。ここは19年前も来ていないので楽しみにしていた
ところだ。要するに宮殿はデカすぎて落ち着かずこっちの小さなほうに入り浸っていたというこ
とらしい。宮殿のほうはあんなに広くて3000人棲んでいたというのに、なんということでしょう、
トイレはない。当時のトイレ事情はひどいもので、貴婦人のドレスの広がりはそこらで事を済ま
せるためだとか、匂いが酷いので香水が発達したとかそのあたりの風俗を描いた話は枚挙に
暇がない。ところがプチ・トリアノンのほうにはトイレがある。

ピンボケで申し訳ないが珍しいので載せておこう。これがトイレです。


汚いものばかりだとなんなので、プチ・トリアノンで可愛いと思った部屋。
ファブリックが可愛い。絢爛豪華な内装より、こういった可愛いもののほうが上品だな、やっぱ
り。

 さて、田舎家のほうは、マリー・アントワネットが建てさせた「王妃の村里」。12軒の家を建
て、このうち10軒が今も残っている。

農民ごっこをして自給自足の生活を楽しんだらしい。

 農民のまねごとをしたのなら、何故農民の辛苦をわかってやれなかったのか。革命は王妃一
人のせいではないし、幼いころから別世界で生きてきた人に、飢えてる人の気持ちを分かれと
いうのも無理からぬこととは思うが。
 フランソワ氏のマシンガントークも冴えわたり、結構広い里村を歩き回り(しゃべりながら歩き
回るフランソワ氏の体力もすごいと思った)かなり疲れた。天気も良く、歩いているうちに暑くな
ってきた。暑いと思ったのはこの時が初めてだったが。しかも一瞬。翌日はまた冬かと思うほ
どの寒さを味わうのだが。
 
 田舎家も観光が終わり、フランソワ氏とはここでさようなら。パリに向かう。バスで30分ほど
でパリ到着。この日のお宿はプルマン・ベルシー・ホテル。部屋は広く、駅も近い。ホテル付近
を散策すると、駅前にはショッピングモールや映画館が立ち並んでいた。夜のセーヌ川ディナ
ークルーズにはまだ間があったので、ショッピングモールでアイスを食べた。翌日思い知ったの
だが、パリにはコンビニがない。コンビニに値するスーパーもなかったのだが、この日は割と賑
やかな駅前を見て不便はなさそうだと安心した。

 夜ディナークルーズなのだが、日が暮れるのが遅いので夜景もなかなか遅くならないと見ら
れない。ディナークルーズなのでディナーが付く。サービスでアルコールも一杯あったのだが、
遠慮する。同じテーブルになったツアーの人がかなり呑み助らしく、私たちがアルコールを断っ
たのを見てびっくりしていた。…そんなこと言ったって飲めないものは飲めないのだ。

夕食。前菜フォアグラ。メイン、チキンソテー。デザート、アイスクリームケーキ。



わかりにくいかもしれないけど、ライトアップだけじゃなくキラキラしているのである。
2000年限定のつもりでキラキラを始めたら好評でずっとこうなのだとか。

 翌日は最終日一日フリーなのだが、一番早く叩き起こされた。というのもエッフェル塔に昇る
チケットを既に日本で買っており(ネットでね。このために会社休んでやんの。しかも9時以外
は即完売。9時もすぐになくなったそうだ)、予約時間が9時だという。7時半に出発。しかし早
めに出て良かった、ということになった。地下鉄が工事のため途中で進めなかった。しょうがな
いので駅をでてタクシーに乗った。タクシーは5〜10%チップを払えとガイドブックにはあった
し、添乗員Yさんは端数は切りあげで、と言っていたのだが、はて、どれくらいあげればよいの
やら…と思っていたら8.8ユーロに10ユーロ札渡すとキッチリ1.2ユーロお釣りくれた。あり
がとうな、運ちゃん。
 さてエッフェル塔に無事着いたが、寒い。体感温度13度くらいか、と思っていたら、ノースリー
ブの人やらコート着た人やらいてパリって自由だなぁと実感。しかしReservationと書いてあると
ころで待てど暮らせど、誰も来ない。周りには当日券を求めている観光客が長蛇の列をなして
いるが、そちらのほうですら動きつつある。「?」と思いつつも10分ぐらい待つと同じようなチケ
ットを持った日本人のお兄さんが「おかしいですねぇ、聞いてきます。」と当日券の係員の方へ
聞きに行ってくれた。果たして、なんとなんと全然違うところが入口だった。Reservationの青い
看板のあるところだって書いてあったのに!とダンナはお怒りであったが、海外でそんな文句
は不毛である。なにがどうなっているのかわからないことなど多々あるのが海外である。あぁ海
外だなぁと思った。
 予約チケットなので後は待たずにエレベーターで上まで行けた。274メートルの展望台へ。こ
のときエレベーターの中からキャーキャーうるさい白人の4人組女子がいた。大学生か?まぁ
楽しいお年頃だからな、と思っていたのだが、エレベーターが展望台に到着し、しばらく景色を
眺めていると、またキャーキャー言いだした。うるせーな、と思いつつなんだか様子が…と思っ
てその女子を見ていると、4人のうち二人が金網にへばりつき、いきなり上半身脱ぎ始めた。
そして「キャー!」とわめきつつ景色に向けて万歳したのである。残念ながらその瞬間はダンナ
は彼女らに丁度背を向けており、私も突然のことにシャッターチャンスを逃した。青春の思い出
作りなのだろうか。ダンナはあまりに近いところ(すぐ隣)にいたので、ひょっとして目をそむけ
たのかと思ったが、ビデオを回していて全く気が付かなかったらしい。事の次第を説明するとめ
っちゃ悔しがってた(笑)

エッフェル塔からの眺め。


エッフェル塔の真下。

 なんとかと煙は高いところがお好きというからか、とにかくダンナは高い建物が好きである。
上海の金融ビル、台湾の101、とにかく塔があれば昇るという人なのでエッフェル塔など大好
物であったのだろう。たっぷり堪能してやっと降りた。

 お次は凱旋門。19年前地下道を通ってそばまでいけるとは知らず、ラウンドアバウトの外か
らしか見てなかったので、今回は地下から行った。ここも高さ50メートルの展望台に行けるの
だが、自力で。エレベーターは身障者用らしいので272段の階段を登らなければならない。さ
すがのダンナも自力はいい…と首を振った。私は元より昇る気はない。ので、この凱旋門、ナ
ポレオンが通りたくて(生きてる間には)通れなかった凱旋門、よーくよーく観察してきました。

昇るには8ユーロ要る。結構取るもんだなぁ…と思った。

 凱旋門を堪能した後、昼も近いのでシャンゼリゼ通りを下りながら昼飯探し。店には事欠か
ないものの、なんせ読めない。日本のレストランの食品サンプルは偉いもんだなぁと改めて思
う。わかる範囲でというとマクドかピザだ。パリに来てまでマクドもなかろう(タイとマカオではお
世話になったが)と後者に。値段もお手頃(とはいってもピザ一枚に8ユーロはする。オランジ
ーナ5ユーロ)なのでピザ屋で一休み。
 
 休憩後、シャンゼリゼ通りをまた下り、数ある有名ブランド店を横目に目指すはオランジュリ
ー美術館。19年前モネの蓮の絵しかない、ということで行かなかったところだ。まだ西洋絵画
に開眼する前とはいえ誠にもったいないことをしたと後に後悔しきりだったので、今回念願かな
って行くことに。ガイドブックには6.5ユーロとあったが実際には9ユーロであった。後日出版
社へメールで知らせたが出版社からは何の連絡も無い。

オランジュリー美術館からコンコルド広場を通して凱旋門まで約2キロ。

 オランジュリー美術館にはモネだけでなくピカソ、セザンヌ、ルノワール、マティス、ユトリロ、
ルソーなどなどてんこ盛りであった。誰だ、モネしかないなんて言ったのは(怒)。パリまで行っ
たなら観るべきです!まぁルーブル、オルセー、オランジュリーとあって時間の都合で省くとし
たらやはりオランジュリーでしょうが…。オルセーはダンナは今回行けずだけどこの日休館だ
ったのでしょうがないやね(自分は19年前に行っているので特段惜しくはない)。
 
 さぁさぁどんどん行くぜ!と地下鉄で移動。お次はオペラ座である。1989年に新しいオペラ
座ができたので、こちらはオペラ・ガルニエと呼ばれ、バレエ専門になったらしい。こちらも19
年前は工事中で観光できなかったところだ。

ガルニエの大階段。大理石でできている。


2階から正面を見るとストリートミュージシャンが演奏していた。
観光客がのんびりそれを聴いていた。なんだかいい景色。


衣装などの資料や写真なども展示してあって楽しい。

 さて、オペラ座の裏にギャラリーラファイエットというデパートがある。日用品からお土産まで
何でもそろうらしいので最終日ということもあってここで一気に土産の仕上げにかかった。しか
しダンナが途中で燃料切れ。疲れた、疲れたを連呼し(女の楽しみはこれからだってのに、チ
ッ!と舌打ちしたのは言うまでも無い)仕方ないので最低限にとどめ、地下鉄へ。ユーロを吐き
だすための空港の免税店に最後のお楽しみは取っておくこととした。

 夕飯はホテル近くのカフェで、と思ったが、ここでも何を食べていいやらわからない。ようやく
目に止まったのはガレット。そば粉で焼いたクレープなので、現地の人は朝食や昼食に食べる
人が多いらしいが、構うものか、一応現地の食べ物だし、下手なもの食べて後悔するより、食
べたいものを食べよう、と。ダンナもメニューに写真があるのが良心的だと判断。私はサーモ
ンと目玉焼きがのったものを、ダンナはなんかわからんが肉らしきものが乗ってるものを食べ
た。飲み物はここでもオランジーナ。まぁまぁ美味しかった。こんなもんであろう。チェックすると
きカードで払ったのだが、ウチのカードはキティちゃんが載っている。ウェイトレスのおねーさん
が「きゃー、かわいい!」と唯一反応してくれた。カード使ってて初めての反応である。改めてキ
ティちゃんすげー、と思った。

ガレット。ここは水がタダで出てきたんだが、現地の水は日本と違って硬水で石灰分が多いの
でやはりあまり飲まないほうがいいとか。

 そんなこんなで、翌日帰路に就いたのでした。びっくりしたのは帰りのチケットはグループの
場合だけなのかどうかしらないが、機械で自分でチェックインできるのだ。飛行機会社のカウン
ターであーだこーだ長時間待たなくてよい。スマートになったもんだなー…。
 というわけで、帰りは行きよりかなり時間的にゆっくり、ユーロ掃き出しに土産物もゆっくり買
えた。帰りの飛行機は行きと同じエールフランス。映画のラインナップも同じ。日本語吹き替え
の洋画が一本あったのだが(”Endless Love")詰まらんことこの上なく、また上海やりたおして
日本に着いた。

 添乗員さんもいい人だったし、ツアーに変な人もいなかったし、行く先々で特段嫌な思いもせ
ず観光だけに専念できて楽しい旅でした!19年ぶりのパリだったが相変わらずで、ヨーロッパ
の都市というのはそうそう変るものでもないのだな、と思い知った。発展途上のアジアとは違う
のだ。中国なんか1年でたいそう変ると思うが。次行けるのはいつかなー…(-。-)y-゜゜゜

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