午前10時発ルフトハンザ航空にて、フランクフルトへ。空の旅は快適だった。映画を「レヴェ
ナント〜蘇りし者」と「信長協奏曲」を観た。あとは寝たり起きたりしているうちに11時間40分 後に着いた、と思っていた。ところが、乗換時間が添乗員曰く「2時間は欲しいのに、1時間24 分しかない。そのうえ20分遅れてしまった」ので、次の便フランクフルト発ベニス行きの便に乗 り遅れそうな事態になっていた。急ぎ入国審査へ向かうが、長蛇の列。これは間に合わんと思 った添乗員は空港職員に何度も何度も交渉に。職員が根負けし、我々日本人だけショートカッ トしてくれた。ところがそれを見ていたフツーに入るはずの白人達が我も我もと横入り。
やっと審査が終わり、搭乗口へ向かうも、嫌がらせかと思うくらいドン突きにあった。
なんとか乗りこめ、着席するころぜぇぜぇはぁはぁと肩で息をしていた。
余談であるが、入国審査はEU加盟国でシェンゲン協定のある国は自動機ですっと入れるの
だが、その機械がうまく作動せず、職員は対応におおわらわ。自動機意味なし…。
1時間40分後、ベニス着。ここで添乗員さん(以後A氏とする。多分50代のイタリア語ペラペ
ラ。この仕事に就いて4半世紀(多分)というベテラン女史)が会社からのサービスでミネラルウ ォーターを配るので、買ってくるという。ちょっと唖然とした。ダンナが「今持たされても荷物にな るだけやのに…」とポツリ。私もホテルの部屋にあるのかと思っていた。
ともあれ、我々の島へ行くため水上タクシーに乗船。ベニスは車、単車、自転車に至るまで
禁止。やっとヒルトン・モリノ・スタッキーというホテルに18時到着。
その日は朝4時起き。時差7時間。日本では昼の11時である。前日は興奮のせいかよく眠
れず、途中走らされ、ホテルのロビーでは疲労困憊であった。11人と少人数ツアーなのだが、 チェックインがなかなか終わらず長いこと待たされる。ダンナがまたも「いつまでかかっとるん や」とポツリ。ダンナは基本上機嫌な人なので、イライラしたり怒りを露わにすることは滅多にな い(大抵私の方が先にキレるので)久しぶりに珍しいモノを見たなー、と関係ないことを考えて いた。フランクフルトから私の頭の中は何故か、山本リンダの「困っちゃうな〜」という脳天気な 音楽がヘビロテになっていた。イライラしないためのまじないみたいなものだろうか。
やっとキーをもらって部屋へたどり着くとやれやれ、荷物もちゃんと届いて…?トランクが3つ
ある…。二つは私らので間違いないのだが、一つ多いってことは届いてなくて困っている人が いるはず。即A氏に電話して取りに来てもらった。そんなこんなで、やっと落ち着いたのだが、 シャワーするとまだ9時にもなってないがバタンキューであった。
しかし、12時ごろ目が覚め、その後も2時間おきに目が覚めるので何だか疲れが取れない
まま、4時には完全に起きてしまった。6時モーニングコール、7時朝食、8時出発となった。
なんとこのツアー私ら以外親子ばかり。4人家族(父、母、大学生の娘、高校生の息子)の父
親が佐藤二朗に似ていたので佐藤一家と心の中で呼んでいた。3人家族(父、母、20歳前後 の娘)は父親が朴一という人に似ていたので心の中でパク一家と呼んでいた。2人親子(母、 大学生の息子)は母親が吉本新喜劇の座長すっちーに似ていたのですち子と呼んでいた。こ のすち子がちょいちょいやらかしてくれるのである。そして私ら夫婦の11名。
4時には完全に目が覚めた私らはモーニングコールを待って、その後ホテルの外に出てみ
た。ベニスの朝焼けはとても美しく、ダンナは感心しきりで、ようやくご機嫌が直ってくれたよう だった。
ヒルトンホテルから水上バスでサンマルコ広場へ。水上バスの中でA氏の説明も聞かず、空
気枕二つを一生懸命膨らませているすち子。そして着いたら、枕を忘れて降りるという何がし たいのか分からないすち子。
朝一番に来たからか誰もいない。誰もいないサンマルコ広場は珍しいので、とA氏の勧めど
おり写真を撮る。午前は観光、午後から自由行動なのでA市が「この橋の向こうがヒルトンホテ ルの水上バスの乗り場です」と説明を受ける。これが大間違いのコンコンチキで後の悲劇にな る。
すち子は旅慣れているのかなぁ、と思っていたらなんと、いきなりボンと自分の大きなカバン
を道に放り出し、スタタタターと写真を撮りに行ってしまった。これには添乗員A氏もびっくり。 「私がいるところではいいですけど、自由行動ではやめて下さいよ!」と青くなっていた。
現地係員のシルバーノ氏と合流。まんまジローラモ。しかし本人は「銀ちゃんと呼んで」と。ま
ず朝早いので誰もいない広場を上から眺めようと、サン・マルコ寺院へ。しかし、建物が古いだ けあって、大理石の階段の一段一段が高い。実際の高さは4階に相当すると思う。腿上げを 何十回とやらされた感がすごく、足がえらいことになってしまった。石畳は予想していたが、こ の急な階段は予想していなかった。しかも皆さんラクラクと登っていき、肩で息しているのは私 ぐらいだった。これが後の悲劇に…。
そして、となりのドゥカーレ宮殿へ。宮殿には裁判所から牢獄へ渡る「ため息の橋」がある。
銀ちゃん曰くため息の橋の命名は外国人らしい。裁判所で判決を受け、がっくり項垂れながら 隣の牢獄へしょっぴかれるのでため息の橋と付けたのだ、と。銀ちゃん「これから裁判所から 牢獄へ行き、一緒に皆で脱獄しましょう!」多分毎日言ってるギャグなんだろうな…。
さて、豪華絢爛な宮殿と寺院を見た後は、お決まりのベネチアングラス工房へ。2004年に
来たときも同じところに連れてこられたので、桁違いに高いのは知っている。確かにきれいな のだが…。飾りとして買ったら…とも一瞬考えたが、やはりケタ違いなのでやめておいた。しか しすち子は6つのグラスセットを買ったらしい…意外と金持ちなすち子。
次も旅程に入っているゴンドラ遊覧。4人家族で一隻。3人家族で一隻、そしてすち子とすち
子ジュニアと我々が一隻。実はすち子達と私たちは名字が同じ。図らずもいっしょくたにされる のも当たり前か…。そして3人家族のパク一家のゴンドラは歌手とアコーディオン弾きも一緒 に。素晴らしいカンツォーネが流れる中事件は起こった。なんとすち子が急に立ち上がり、ゴン ドラが大揺れ。船頭も怒る。私も転覆するかと思って驚いた。しかしその後もう一回同じことを するすち子。何がしたいんだ、すち子。
その後昼食はイカスミのパスタと海鮮パスタ。どちらかを選ぶのでなく一皿に両方乗っていた
のである。私にはイカスミの方がおいしかった。デザートはプリンだったのだが、見かけこそプ ッチ○プリンなのだが、かなり固かった。こんなに歯ごたえのあるプリンは初めてだった。
午後は自由時間で、サンマルコ広場の店をあれこれ冷やかしながら、ダンナの目的地である
「リアルト橋」を目指した。しかし午前中の腿上げが効いてきたきた自分は歩いてるうちにかな りしんどくなってしまった。しかも天候は大雨に急変。傘は持ってきていたのだが、傘が役に立 たないくらいの風雨。ダンナが私を心配し始めた。「機嫌悪くなるとすぐわかるんだよ、黙るか ら」いや、お互い様だろ。と突っ込む気も起こらないくらいへばっていた。オマケにその橋は工 事中で全く見ることはできなかった。サンマルコ広場に戻って、本とマグネット(行く先々でこの 2点は必ず買うことにしている)を買いに行った。私の体調もあって、もうホテルに戻ろう、と今 朝教えてもらったヒルトンホテルのシャトルボート乗り場を目指す。しかし言われたところには 乗り場はない。橋を渡ってすぐあるのは水上バスA駅である。その隣はB。???雨はいよい よ酷くなりびしょ濡れの中、必死に探すとはるか彼方、水上バスCとDの間にあった。20分ほ ど待つとシャトルボートもやってきて、やっと帰ることができた。
私たちが、何故諦めて水上バスにしなかったかというと、水上バスは一人7ユーロ(1ユーロ
=116円)するのである。ホテルの船はタダ。こういうところは二人ともちゃっかりしているので ある。
ホテルに帰って、一休みした。この日の夕飯は付いてなかったので、近くにコープがあるとい
うことで、添乗員にもらった地図を見ながら夕飯を買いに出た。バルやリストランテで注文する 勇気もないし、こちらの量は私らには多すぎる。しかし、行けども行けども、コープは見つから ない。雨は上がっていたのでよかった。結局見つけることができなかったので、途中にあった パン屋でパンと水を買い、ホテルに戻った。そしてその日も9時ごろ寝てしまった…。こちらは サマータイムで9時ごろまで明るい。が、そんなこと知ったこっちゃないのである。
3日目は8時にフィレンツェへGO!約3時間15分のバス旅。何故か私はバスに乗ると寝て
しまうのだが、A氏がここぞとばかりにイタリアの蘊蓄をマイクでしゃべりまくる。結局一睡もでき なかった。現地では添乗員ではなくイタリア在住の係員にしか説明をさせてはいけないそうだ。 A氏は以前説明してしまい警察に捕まったそうである。要するに失業対策の一環なのだろう。 これもサッカーのように3枚イエローカードもらってしまうとレッドカード(免職)になってしまうらし い。
閑話休題。フィレンツェではまず最初にベッキオ橋へ。そこで写真タイムが終わると、2時間
たっぷりとウフィッツィ美術館。ボッテイッチェリは勿論、私が一番好きなカラヴァッジョにミケラ ンジェロ、ティッツイアーノ、ラファエロの間。ここで私の目的の半分は終わった。もう半分はロ ーマのバチカン美術館。
夕食はミケランジェロの丘のすぐそば見晴らしのいいレストラン。「ここでは、ちゃんとした服
でお願いします」と事前に言われてたが、言葉通り自分はちょっと袖や襟周りにレースの付い たカットソーにしておいた。しかし皆さんちゃんと靴からディナー服に着替えてきたのである。昼 間と同じ格好なのは私らだけであった…。そしてミケランジェロの丘からの夕景を眺めた。
これでこの日の観光は終わり。
翌日8時出発。1時間半かけてピサへ。そう、斜塔のあるピサだ。「ピサの斜塔」が有名だ
が、実際は洗礼堂と寺院と斜塔の3点セット。12年前も来たが、当時は時間がないからと、洗 礼堂しか見てなかった。このツアーは斜塔を7階まで登るという。実はベニスの後遺症で腿が 筋肉痛になっていた私はパスを申し出た。
斜塔に上る際はカメラ以外バッグなど一切持って上がれない。ロッカーに預けなければいけ
ないのだが、私がダンナのカバンを預かり、冷房はないが日陰で涼しかったのでロッカー室で 待っていた。ダンナは「もー、ヘタレだなー(笑)よーし、俺が写真撮って来てやるよ」と笑ってい たが、降りてきたときは顔面蒼白だった。「行かなくて正解だよ。普通の人間でもキツいわ」階 段の幅が狭く、滑りやすい大理石の階段は手すりも無く、すごく怖かったらしい。私は2005年 に行ったアンコールワットで懲りていたので2度とこういうものには上らないと決めていた。
ピサからフィレンツェに戻ると自由行動。私らはアカデミア美術館へ。なんとラッキーなことに
月に1度の無料日に当たった。普段は8ユーロらしいのだが。しかもミケランジェロのダビデ像 しか見る物がないので回転率は速い。
時間的には昼食なのだが、暑くて食慾がなかった。それより冷たいものが欲しかったので…
初めてジェラートを食べた。 DO」という。なんでや…。
初日の時差ボケ&老化により朝6時、下手すりゃ4時起き。したがって落ちる時間は午後9
時、10時である。集合時間には一番に来る私ら…。
翌日はダンナの希望でこの旅行を選んだと言っても過言ではない、イタリア新幹線にてロー
マへ。電車だと1時間45分で到着。電車の方が速いのに何故ほとんどのツアーはバスで行く のだろう?
ローマ到着後、バスでコロッセオへ。相変わらずでかい。この辺りはグラディエイターの格好
で写真を撮らせ代金を請求する輩がいるので注意!と旅行本にもあったし、添乗員からも言 われていたのだが、全く見なかった。この暑さではそんな格好できないのかも。 れたのだそう。それでも何人もの人が訪れても壊れないのだから凄い。
その後昼食。一人一枚の大きなピザ。完食したのは高校生だけだった…高校生の食慾恐る
べし。
近くにスペイン大使館があるからそう呼ばれるらしい。しかし工事中なので、柵が設けられて
おり、誰も入れない。普段は階段に腰掛ける人でいっぱいなのだが、珍しく人のいないスペイ ン階段。
「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンがジェラート食べながら降りてくるので有名な場所
だが、真似る人が多くゴミも多くなったため現在は飲食禁止。
ここで一旦解散。自由行動へ。ダンナは私の趣味をわかってらっしゃる(笑)カラヴァジョの絵
画があるサン・ルイジ・デイ・フランチェーズ教会とサンタゴスィーノ教会へ。炎天下の中、道に 迷いつつ何とか汗だくになりながら辿りついた。地図の読めるダンナでさえ迷ったのだから、私 だけでは絶対辿りつけなかったろう。
5時15分集合だったのだが、ヘタレなもんで、1時間前に集合場所へ戻ってしまった。そして
またジェラート(笑)こういう観光地は8割の人間がジェラートを片手にスマホをいじっている。と にかく治安が悪く、スリ・置き引き・カッパライは日常茶飯事と脅されていたので、カバンは常に 前に、歩きスマホなんぞしたら必ず盗られる!ということだったのだが、ぼーっと通行人を見て いると白人は老若男女たいていノースリーブに短パン。ちょっと色が黒い人はサリー着てたり、 スカーフで頭を覆い、長袖の女性も多々いる。黒人は怪しげなものを売っている。本当に観光 地なんだなー、と縁石に座り眺めていた。
時間通りに全員集合。ホテルに戻りちょっと休憩してから、水を買いに。駅へ。今回は大きな
駅の近くのホテルだったので、買い物は楽である。しかしベニス、フィレンツェに比べて、ローマ はいかにも怪しい奴が多い。ガラが悪いというべきか。
夕食はホテルの眺めのいいレストランで。たいていテーブルは4人家族で一つ。3人家族と添
乗員で1つ。そして我々とすち子母子と一緒になる。気になるのがすち子ジュニアのスマホ中 毒だった。他の子もスマホを手にしているが、ジュニアの中毒っぷりはすごかった。食べるとき もスマホを見ているのだ。
すち子が「今までどこに行かれたんですか?」と聞いてきたので、あれやこれや話をしていて
「ドイツは良かったですか?」と聞かれ「良かったですよー。白鳥城がきれいで…」そう聞いてす ち子がジュニアに「ねぇ、Sちゃん、来年ドイツどう?」と言うのだがSちゃんはスマホに夢中で 生返事。「ママ、ドイツ行きたいわ、ねぇSちゃん」ほぼ独り語になっている。いらんお世話だ が、Sちゃんにいいお嫁さんが来るといいなー…と思ってしまった。
さて翌日はいよいよバチカン市国観光。1回目に来た時は「寺院に入ってすぐ右のピエタ像
を見てきてください!」と言われ、その時はシスティーナ礼拝堂に「最後の審判」があるとは知ら なかった。2回目に「最後の審判」は観れたが、バチカン美術館というものがあるのを知らなか った。そしてこの3回目。自分にとっては本丸バチカン美術館にやっと来れた。しかも今年は 「慈しみの特別聖年」でサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂で非公開の場所に入れるということ だ。写真は禁止〜。「最後の審判」もである。非公開のところは…特に大したことも無いのにな にをもったいぶっているのか…という感想しかなかった。
午後は自由行動なのだが、昨日の炎天下での彷徨にへばってしまった私らは日中はホテル
で休み、4時ごろから行動再開。土産を買おうと思ったら、案外少ない。キーホルダーやら絵葉 書やらはあるのだが、お菓子類を見ない。結局三越で買ったという…。
と言う訳で翌朝日本へ帰国。楽しかったけど、スリ・置き引き・かっぱらいに気をつけろと始終
言われて、こんなに気を張り詰めた旅はなかった。今度はもうちょっと治安のいいところにした い。最近テロでご活躍のイスラム国がまさかカトリック総本山にケンカは売るまいと高をくくって いたが、自分も街(そこかしこにマシンガンもった軍人がいる)も常に警戒態勢で気疲れのほう が勝っていた。
結婚10周年ということで、行って来たイタリア。10年経っても20年経っても変らないのが石
造りのすごさだなー、と思っていたが、人は変わるのだな。ということを痛感した。恐らく4度目 は無いと思うので「チャオ、イタリア、アリベデルチ!」
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